息子が手術室で処置を受けている間、私たちはカテーテル室の待合室で待たされました。その間に、地元から私の父母や初日に一緒に付き添ってもらった弟も病院に到着しました。それぞれに、事故直後に聞いた範囲での経緯を説明しました。
初孫というこもあり、息子を可愛がってくれていたのでショックを隠しきれない様子でした。
20時
事故のことについて詳細な説明が、病院側からありました。事故直後に受けた説明と同様の話がされました。
一番驚いたことは、事故直後の説明で淡々と話しをしていた男性医師は今回の検査の執刀医でした。他人事のように淡々と経緯を説明していた態度を今でも忘れることは出来ません。
私たちは
息子を元の状態にかならず戻すこと。
このような事故を起こした責任を必ずとること。
…このことを強く求めました。
21時30分
手術室からICUに移された息子と面会しました。人工呼吸器、人工心肺、複数の点滴、バルーンカテーテル(おしっこの管)。沢山の管に繋がれていました。
もう言葉がでませんでした。
涙が出てきました。
執刀医が近づいてきて、
「ご心配をおかけしております。今から身体を冷やして、脳への影響を小さくしていきます。」
本当はもう息子に近寄ってほしくなかったですが、頼むしかなく、モヤモヤしました。
息子を人質に取られてしまったような。そんな気持ちになりました。
22時
心臓の穴を閉じてくれた先生からの説明を受けました。
・穴は塞ぐことができた。
・自己心拍は再開した。
・早ければ明日にでも人工心肺を外す手術をするかもしれない。
この日はこの説明を聞いてから、患者家族用のアパートを借り、そこに泊まりました。
食事は殆ど喉を通らず、疲れていましたが中々寝つけませんでした。
息子が急変した電話がかかってくるのではないか、そんな不安で眠ることが出来ませんでした。