医療事故後184日目。
今日もたくまはお陰様で数値は安定しています。お風呂にも入れて頂いたようで、顔がスッキリしていました。
【今日のたくま】
— りょう (@rs010629) 2019年10月28日
まだ看護師さんに会えてないの分かりませんが、お風呂に入れて頂いた感じで顔がスッキリしてます。
数値も安定してて嬉しい😆
顔の腫れが少し減ってきたかな??
ダルビッシュ選手のトレ論がいつも勉強になる。光山さんと対談してた内容が印象的
5人でBABA嵐が楽しみでたまらんw pic.twitter.com/TZuQgoKJcu
タイトルに関する話になりますが
たくまが拡張型心筋症と告げられたとき、親の私はこんな行動をして、こんな心境でいた。そして、【今思えばこうすればよかった】。…というのを書こうと思います。
書いていると【もっとこうできた】という反省点がでてきました。
同じように子どもさんやご家族が病気になった際のなにかの参考になればと思います。
たくまが大分の病院で
拡張型心筋症と診断を受けたのが2019年2月12日。
その日から私は
たくまは重度の心臓病。
長くは生きられないかもしれない。
過度な運動は一生できない。
一生、服薬しながら生活しないといけない。
好きな食べ物も食べれなくなるかもしれない。
絶対に風邪を引かせてはいけない。
…そんなマイナスの事ばかり考えながら生活していました。
職場の上司に報告に行った際には人目を憚らず、声を上げて泣いてしまいました。
もうそれまでの生活の心境とたくまに対する行動が大きく変わりました。
・機嫌が良く走り回ろうとしたらすぐに抱っこしました。逆に機嫌が悪くて泣き喚くときには息が上がるので、躾は二の次と考え、泣かないように好きな事させるようにしました。
・お風呂に入れるときは部屋と部屋の温度差に気をつけて、心臓に負荷がかからないように肩まではつからせないようにしました。
・寝かせる時は無理に寝かせようとすると立ち上がって逃げようとします。その際に床からの立ち上がりが繰り返されると心臓に負担がかかるので、立ち上がろうとしたらすぐに抱っこして介助するようにしました。
・感染が怖くて、その日からたくまを家からは出せませんでした。保育園もお休みにしてもらいました。
…もうたくまから目を離すのが怖かったことを覚えています。
ここで思う1つ目の反省点は
【私は診断を受けた日からたくまを見ておらず、心臓の事ばかり考えていたこと】です。
確かにたくまの心臓は良い状態ではありませんでしたが、この時たくまはまだ息切れなどの他覚的な症状はありませんでした。
普通に生活していたし、普通に歩いていたし、体は小さいながらも成長曲線の正常範囲にはギリギリ入っていました。
私はたくまではなく、たくまの心臓に囚われてしまっていました。
大きな後悔です。
このことが後々の全てに繋がってきます。
診断を受けた日から私は心臓について調べまくりました。仕事の合間、昼休み、寝るまで全ての時間を心臓に関することの調べ学習にあてていました。
なんとか良くなる術はないのか?
そればかり考えていました。
調べ始めたばかりの中途半端な知識量のまま定期的な外来受診で先生を説明を聞きました。
早く治したい、早く治したいという思いが募っていました。先生の口から出る検査項目は早い時期にやった方がよいのだろうという思いに囚われてしまっていました。
今やることを意義を聞かないまま、検査入院の日取りが決まり、そこで4月25日に医療事故が起こってしまいました。
2つ目の反省点は
【規定路線で行われていく検査に流され、疑問を解消しないまま検査をおこなってしまったこと】です。
大分の病院や医療事故を起こした病院で説明をもらう際に1回でも
「先生、いまこれをする必要がありますか?」と1度でも聞けていたら、、
違う今があったかもしれない。。。
このことを考えてしまい自分を責めてしまう時がありますし、これからもずっとそうだと思います。
これも大きな後悔です。
病院から
たくまの事故はある一定の頻度(統計では約1%)で起こる合併症であると言われました。であれば、何か少しでも変われば、たくまは今のような脳死状態になっていなかったのではないか。。
普段何気なく受けている医療には、私たち家族の判断も結果を大きく左右するかもしれません。皆さんの大切な家族を守るために私の反省が何かの役に立てば、こんなに嬉しいことはありません。
長々と失礼しました。